#265 「フィットネスー疲労理論」を理解すれば、シーズン中もトレーニングを継続することの重要性が理解できる

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Scrum 1

 

先日、過去のブログ記事(#207 超回復理論 vs. フィットネスー疲労理論)を手直しして、それをTwitterでつぶやいたところ、かなりの反響を頂きました。

「すでに公開している過去の記事についてつぶやいただけで、こんなに読まれるんだ!」と驚いたと同時に、最新の記事だけでなく過去の記事についても、たまにはつぶやいていこうと思わせてくれる出来事でした。

ブログの良い点は、記事を書き続けていれば、それが蓄積されて「資産」となることです。

せっかくの「資産」なので、今後もうまく活用する方法を模索したいと思います。

 

 

シーズン中のトレーニングと「フィットネスー疲労理論」

さて、上でも紹介した過去のブログ記事で説明した「フィットネスー疲労理論」は机上の空論ではなく、実際に「使える」概念です。

いろいろな場面で「使える」のですが、今日はシーズン中にトレーニングを継続することの重要性を、「フィットネスー疲労理論」をもとにして説明してみたいと思います。

 

①原則として、シーズン中もトレーニングを継続する

これはマストです。「オフシーズンにトレーニングを一生懸命しておけば、シーズン中はその貯金だけでやっていける」なんて考えている人がいたら、それは大きな間違いです。

詳しくは過去ブログを読んでみてください。

 

②シーズン中に疲れていても/疲労が残るのにトレーニングをするべきか?

シーズン中にトレーニングをまったくしないアスリートやコーチは、 「試合の疲れが残っている状態でトレーニングしても意味ないし、トレーニングしたら疲労が蓄積して次の試合にフレッシュな状態で臨めなくなるから、シーズン中は次の試合に向けたリカバリーを優先すべき」と考えているのではないでしょうか?

気持ちはわからないではないですが、目の前の事に集中し過ぎて、長期的な視点の欠けた残念な考え方だと言わざるをえません。

 

このような考え方は、意識しているか無意識かは分かりませんが「超回復理論」的な思考に基づいていると私は感じます。

つまり、シーズン中のコンディショニングの目的は疲労ができるだけゼロの状態で試合に臨むことである、という考え方です。

このような「超回復理論」的な思考は、私から言わせれば消極的過ぎます。「お前なにビビってんだよ〜!!」って言ってやりたい感じです。

トレーニングの量や頻度が著しく低下すれば、短期的には疲労がゼロに近づいて良いコンディションで試合に臨めるかもしれませんが、競技シーズンが長い場合、シーズン後半までコンディションや体力レベルを維持することができません。

 

一方で、「フィットネスー疲労理論」的な思考に基づいて考えると、シーズン中のコンディショニングの目的はフィットネスと疲労のプラスマイナスの差(=Preparedness)ができるだけ高い状態を保つこと、となります。

この場合、シーズン中にトレーニングを実施することで多少の疲労が残ったとしても、トレーニングの結果としてフィットネスのレベルを向上させたり高いレベルで維持できるのであれば、それはそれでOKという割り切りに繋がります。

これは、より積極的でアグレッシブな戦略です。シーズン後半まで高いフィットネスレベルを維持できるはずです。

しかし、トレーニングによる一時的な疲労は避けることができません。

したがって、長いシーズン中の数ある試合に優先順位を付けて、重要性が低い試合の前の期間は多少の疲労が残ることを覚悟してガッツリとトレーニングするんだ!と割り切ることが必要になります。

 

 

まとめ

過去のブログでも説明したように、私は「超回復理論」よりも「フィットネスー疲労理論」のほうが現実をうまく反映していると考えています。

後者のコンセプトに基づいて考えると、シーズン中のコンディショニングの目的はフィットネスと疲労のプラスマイナスの差(=Preparedness)ができるだけ高い状態を保つこととなり、そのためにはシーズン中もトレーニングを継続することが絶対的に必要であるという結論に結びつきます。 

「フィットネスー疲労理論」のコンセプトを知っているかどうかで、シーズン中のトレーニングに対する姿勢が大きく異なるという例を今回は紹介してみました。

動画 フィットネスー疲労理論

 

 

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【編集後記】

また論文査読をしました。大学院時代の恩師からの依頼だったのでお受けしてキチンと完了させました。しかし、今度はまた別の査読依頼が来ました。以前に査読した論文が手直しされて戻ってきたものだったので、こちらも引き受けました。時間がかかる割に無報酬のこの査読という活動。いつまで続けようか考え中です・・・。