#189 私の博士研究のまとめ

 

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ここまで、私が博士課程で実施した3つの研究について紹介しました。

博士研究はバラバラのテーマの研究をいくつかやってまとめるわけではなく、 1つの大きなテーマに沿っていくつかの関連した研究をやるものです。これまではそれぞれの論文について個別に説明をしましたが、今回はそのまとめとして、私の博士研究の大きなテーマと、それに対して3つの各研究がどのように関連しているのかについてお話しようと思います。

 

博士研究の大きなテーマ

まず、博士課程に入学して研究テーマを探し始めた時にやってみたいと思ったのは、チーム競技に関する研究でした。私自身がバスケットボールをずーっとやっていたのが大きいです。さらに、スプリントに関する研究をしたいというのもありました。で、色々と調べてみると、チーム競技におけるスプリントは比較的距離が短く、トップスピードよりも加速能力のほうが重要であると考えました(実際は、ジョギングのような低速度の状態からスプリントを開始する場合は、 短い距離でもトップスピードに近い走速度まで到達しますが)。なので、チーム競技アスリートの加速能力を向上させる方法に関する研究をしようと決めたのでした。

基本的に、スプリント加速能力を向上させるためのトレーニングを考えた場合に、ベーシックなレジスタンストレーニングをガシガシやって筋力・筋パワーを向上するのと、実際にたくさんスプリント練習をするのが重要であると当時は考えていました。この考え方は、基本的には今も変わっていません。しかし、「それだけで良いのかしら?」という気持ちもありました。水平方向に移動するスプリントを向上するために、垂直方向に負荷を持ちあげるのがメインのベーシックなレジスタンストレーニングだけをガシガシやっていて、トレーニング効果が転移するのかしら?という疑問です。そこで、水平方向に負荷を加えるトレーニングについて調べてみようと考えて、目を付けたのがそり牽引トレーニング(weighted sled towing)でした。

 

そり牽引トレーニングについて

まず、そり牽引トレーニングがスプリント加速能力を向上させうるメカニズムについて考えてみました。基本的に、そり牽引トレーニングでは、スプリントの動作そのものに対して水平方向に負荷をかけるというのが特徴です。そのように水平方向に負荷を加えることによって、水平方向により大きな力や力積を発揮することになると考えられ、そうしたトレーニングを長期的に繰り返すことで、力や力積を発揮する能力(特に水平方向に)が向上して、それがステップ長(1歩の長さ)の増加に繋がり、結果としてスプリント加速能力が向上するというのが一般的に考えられている仮説です。しかし、これらは全て仮説で、科学的には検証がされていない状態でした。

 

研究その1

そこで、まずは、そもそも水平方向に力や力積を発揮する能力がスプリント加速パフォーマンスにとって重要なのかという点から調べることにしました。「水平方向に力や力積を発揮する能力を鍛える」というのが、そり牽引トレーニングのトレーニング効果として提唱されているメカニズムなので、そもそもこの能力がスプリント加速能力に無関係であれば、そり牽引トレーニングを用いてこの能力を鍛える意味がないということになってしまいます。ということで、研究その1では、水平方向の力積とスプリント加速パフォーマンスの相関関係について調べたのでした(詳しくはコチラ)。

その結果をもとに、「地面反力の力積をより水平方向に傾ける能力を鍛えれば、スプリント加速能力も向上する」という仮説を立てて、研究その2に繋がっていくのでした。

 

研究その2

研究その1の結果から立てた仮説をもとに、やはりそり牽引トレーニングを実施すればスプリント加速能力が向上する可能性があるな〜と考え、研究その2からはそり牽引トレーニングそのものについて調べることにしました。 研究その2で調べたのは「そり牽引トレーニングにおいては、水平方向に過負荷が加えられて、水平方向により大きな力や力積を発揮する」という仮説です。そのようなトレーニング刺激を与えるという前提で、そり牽引トレーニングを長期的に実施すると水平方向に大きな力や力積を発揮する能力が向上すると考えられているので、そもそもその前提が実際に正しいのかを調べなくっちゃということでした(詳しくはコチラ)。

結果として、そり牽引トレーニングでは水平方向の力積はアップして、さらに力のベクトルがより水平方向に傾く、ということがわかりました(体重の30%を使用した場合のみ)。しかし、これは、そり牽引トレーニングによる負荷の特性(=トレーニング刺激)がそのようなものだということだけであって、そのようなトレーニング刺激を長期的に与えたらどのような適応が起こるかは、実際にトレーニング研究をやってみないとわかりません。ということで、研究その3では満を持して、実際にそり牽引トレーニングを用いてトレーニング研究をやったのでした。

研究その3につながるという観点で特筆すべきなのは、体重の10%という軽い負荷を用いた場合は、地面反力にはそれほど大きな変化が起きなかったという点です。過去の研究によると、同様の軽い負荷を用いた場合は、地面反力だけでなく、キネマティクスにも大きな変化が起きないということが報告されています。つまり、軽い重さのそりを牽引してスプリントをしても、何も引っ張らずに普通にスプリントした場合と大きな違いがないということです。

私から言わせると「大きな違いがない=過負荷がない」ということになるので、だったらそりなんて引っ張らずに、ただただスプリント練習だけやってればいいんじゃないの、という話になります。しかし不思議なことに、一般的には「そり牽引トレーニングの10%ルール」なる伝説がコーチの間では囁かれていて、「あまり重いそりを牽引するとテクニックが崩れてパフォーマンスが低下する恐れがあるから、そり牽引トレーニングにおいては体重の10%または走速度が10%遅くなる程度の軽い負荷を用いないといけない」という考え方が存在していたのです。この「10%ルール」に科学的根拠があるのかどうかを調べてみましたが、一切見つけることができませんでした。

ということで、10%よりももっと重い負荷を用いてそり牽引トレーニングをしてみてもいいんじゃないか?むしろ、そっちのほうがトレーニング効果が高いんじゃないか?という疑問が出てきて、研究その3に繋がっていくのです。

ここでもう1つ、「10%ルール」に関してツッコミどころがあります。それは、「10%ルール」が指すところの10%は体重の10%なのか、それとも走速度が10%低下する負荷を指しているのか、どっちやねんという点です。そり牽引トレーニングにおける外的な負荷は、「そりの質量」と「そりと地面との摩擦」の2つの合わせ技により構成されます。そして、摩擦はそり底面の特性と地面の特性によって決まり、そりの質量が同じでも条件次第でその値は変わってきます。だから、「体重の10%=走速度が10%低下する」というケースは非常にレアで、基本的に両者は別物と考えるべきです。

実際に、研究その2の結果によると、体重の◯◯%という形でそり牽引トレーニングの負荷を決定した場合、実際にスプリント速度がどの程度低下するかは、個人差が大きいということが観察されました。つまり、体重の◯◯%という形でそり牽引トレーニングの負荷を処方するのは適切ではないということです。

 

研究その3

ということで、トレーニング研究です。そり牽引トレーニングのトレーニング効果を調べた研究は過去にもいくつかありました。そのほとんどが、軽い負荷を用いたそり牽引トレーニングと負荷なしの普通のスプリントトレーニングを比較したもので、前者のほうが効果が高いと報告している研究と、両者の間にトレーニング効果に差はないと報告している研究が半々といったところでした。そこで、私は軽い負荷と重い負荷でそり牽引トレーニングをやってそのトレーニング効果を比較することにしました(詳しくはコチラ)。この研究その3のミソは、トレーニング負荷を体重の◯◯%ではなく、◯◯%走速度が低下する重量という形で設定した点です。これは研究その2の結果をもとに、そのような形にしたのでした。

で、結果としては、軽負荷と高負荷の間で統計的には差があるとは言えないということだったので、そり牽引トレーニングにおいては重い重さを使ったほうがよいとは言えない結果になりました。が、少なくとも「10%ルール」には何の根拠もなく、それよりも重い負荷を用いてそり牽引トレーニングをやってみてもいいんじゃない?というメッセージを送ることはできたと思います。今後、この論文を読んだ他の研究者が、さまざまな重量を用いてそり牽引トレーニングのトレーニング効果について調べてくれたらいいな〜と思いますし、そのモチベーションを与えられたとしたら、それだけでもこの研究その3をやった価値があったと私は思えるでしょう。

もう1つ、研究その3で重要な発見は、高負荷でそり牽引トレーニングをした場合に、地面反力の力積(resultant impulse)と力積の垂直成分(vertical impulse)が低下して、ステップ頻度(1歩の速さ)が向上したという点です。これは、「そり牽引トレーニングを実施すると地面に対して力や力積を発揮する能力が向上して、ステップ長の増加に繋がる」という最初の仮説とは大きく異る現象で、少し驚きでした。

しかしその一方で、これは研究その1とその2の結果から考えると「あ〜、なるほどな〜、そういうことか〜」と思えるものでもありました。つまり、研究その1の結果から、水平方向に大きな力や力積を発揮する能力そのものよりも、力のベクトルをより水平方向に傾けることのほうがスプリント加速能力にとっては大切なのかな〜という実感がありましたし、研究その2の結果からは、そり牽引トレーニングを実施すると力のベクトルをより水平方向に傾けるような負荷が加えられるのかな〜という感覚もありました。もともとの仮説を一度忘れてみて、研究その1とその2の結果から考えてみると、研究その3で観察された現象はそれほど驚くべきことではないように思えました。

そこで、そり牽引トレーニングを「特異的な筋力トレーニング」と捉えるよりも「スプリントの技術ドリル」の1種と捉えるほうが適切なのかもしれないと今現在は考えているところです。つまり、そり牽引トレーニングはスプリント中により大きな力を発揮する能力を鍛える筋力トレーニングというよりも、スプリント中の力発揮の方向をより水平方向に寝かせるテクニックを覚えるための技術ドリルである、という考え方です。

 

まとめ

ということで、私の博士研究のまとめをしました。で、もし今、「チーム競技アスリートのスプリント加速能力を向上させるためにはどのようなトレーニングをしたら良いか?」という質問をされら、私の答えは「ベーシックなレジスタンストレーニングをガシガシやって筋力と筋パワーを向上させて、それと同時にたくさんスプリントの練習を積んで下さい。そして、スプリントの練習の一環として、そり牽引トレーニングも導入してみてはいかがでしょうか。その際に用いる負荷は少し重めのものがいいかもしれません」といった感じになります。

3年もかけて研究をしたわりには、研究結果をもとに言えるのはそのぐらいのもんです。何か虚しい気がしないでもないですが、実際に1つの研究で解明できるのはほんの少しのことだけです。それをたくさん積み上げたものがいわゆる「科学的知見」とか「エビデンス」とか呼ばれるものになるのだと思います。大学院生や若手の研究者が「たった1つの研究であらゆる疑問を解決してやるぞ〜」と意気込む気持ちはわからなくもないですが、実際にはそんなことは無理なので、もう少し謙虚になって、研究テーマはできるだけ絞ってあげるのが重要だな〜と思います。これから博士研究をやる学生の人がこのブログを読んでいたら、参考にしてみてください。

 

 

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【編集後記】

腰痛も少しずつ良くなってきたので、出来る範囲内で少しずつトレーニングも再開しています。最近ハマっているエクササイズは、オーバーヘッドリバースランジとケーブルデッドリフトとグルートハムレイズです。腰に負担なく実施できているし、posterior chain も鍛えられている感じがして、とてもいい感じです。トレーニングできる幸せを実感しながら頑張っています。