#882 情報をインプットするときは批判的思考(クリティカル・シンキング)が大切

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先日、Xで以下のような投稿をしました:

この点について、深堀りをしてみます。

 

 

情報をインプットするときは批判的思考(クリティカル・シンキング)が大切

私、子供の頃からよく「なんで?」と周りの大人に質問をして困らせていました。

好奇心が強いのか、理屈を理解したいという気持ちが強いのか、その辺りはよくわかりません。

しかし、大人になった今でも、「なんで?」という疑問がしょっちゅう頭に浮かびます。

もう生まれ持った性格だとしか説明のしようがありません。

 

個人的には、この性格は嫌いではありません。

「なんで?」と疑問を持つことがキッカケとなり、物事を深く考えることができるからです。

そして、物事を深く考えることで、自分の頭の整理に繋がったり、誤りを発見できたり、より良い方法を発見できたりetc、自身の成長に繋がっていると感じています。

 

「なんで?」という疑問を持つということは、別の見方をすると、いろいろなものに対して「本当にそうなの?」という疑いの目を向けている、ということでもあります。

悪く言えば、素直じゃない、天邪鬼だ、ということになるかもしれません。

でも、インプットできる情報量が増えている現代において、「なんで?」とか「本当にそうなの?」という気持ちを一切持たずに、すべての情報をそのまま受け入れてしまうのは危険です。

疑いの目を持ちながら、受け入れる情報を精査して取捨選択するというのは、社会人としてだけでなく、専門家としても必要な姿勢だと思います。

私の場合、生まれつきの性格に加えて、大学院で学んだ「論文を批評的に読む」という訓練の影響で、そのような姿勢が自然と身についたのでしょう。

 

ストレングス&コンディショニングの専門家として、新しい情報をインプットするという活動は、常におこなっています。

論文を読んだり、セミナーに参加したり、本を読んだり、SNSを見たり、ネット記事を読んだり、etc。

そして、そのときには「本当にそうなの?」という疑いの目を向けながら、批評的な姿勢でインプットするようにしています。

これが冒頭で紹介したXの投稿で言及した「クリティカル・シンキング(批判的思考)」というものです。

※デジタル大辞泉によると、「クリティカル・シンキング」の定義は「物事や情報を無批判に受け入れるのではなく、多様な角度から検討し、論理的・客観的に理解すること」

 

 

なぜクリティカル・シンキングをSNSで発信するのか?

新しい情報をインプットするときにクリティカル・シンキングを実践し、「一生懸命自分のアタマで考えてみたけど、さっぱりわからないな」「いや、この発信はおかしいでしょ」と思うことは多いです。

むしろ、「これはまったくそのとおりだ!」と同意したり、「なるほど、勉強になるな〜」と納得して受け入れたりすることのほうが圧倒的に少ないです。残念ながら。

だからこそ、無批判になんでも受け入れるのは危険だな〜と思うわけですが。

 

「一生懸命自分のアタマで考えてみたけど、さっぱりわからないな」「いや、この発信はおかしいでしょ」と思ったときには、Xで投稿することもあります。

「〇〇はなんで?」とか「いや、これはおかしいでしょ!?」みたいな感じの私の投稿は、すべてクリティカル・シンキングの結果として発信されたものです。

そのような投稿を見た人のなかには、「河森はいつも文句ばかり呟いているな〜」と感じる方もいるだろうと思ったので、そこを説明するために冒頭で紹介したXの投稿をしたのです。

 

ただ、冒頭で紹介したXの投稿を見た人のなかには、「クリティカル・シンキングだかなんだか知らないけど、そんなのわざわざSNSで発信する必要ないだろ!自分のアタマの中に留めておけよ!」と思われた方もいるでしょう。

たしかに、クリティカル・シンキングそのものは、情報をインプットする全ての人がやるべきだと思いますが、それをSNSで発信する必要性はまったくありません。

私の場合は、個人的に発信がしたくて発信をしているだけです。

私がSNSでクリティカル・シンキングを発信する理由はいくつかあります:

  • 理由①:自分の考えを多くの人にシェアしたい
  • 理由②:多くの人に批判的に考えるキッカケを与えたい
  • 理由③:クリティカル・シンキングの結果を外に出して長期保存するため

 

理由①:自分の考えを多くの人にシェアしたい

これもおそらく生まれ持った私の性格として、自分の考えを多くの人にシェアしたい、という根源的な欲求があるのだと思います。

だからこそXもやっているし、このブログも書き続けることができているのでしょう(最近は更新頻度が減っていますが。。。)。

また、私のシェアする情報は多くの人に役立つはずだ、という自信もあるのでしょう。

 

 

理由②:多くの人に批判的に考えるキッカケを与えたい

理由①と重複するかもしれませんが、私が「なんで?」「おかしくない?」と感じた情報をシェアすることで、多くの人にも批判的に考えるキッカケにしてほしい、という根源的な欲求があるのだと思います。

多くの人が無批判に情報を受け入れてしまっていると感じていて、「もっと自分のアタマを使って批判的に物事を考えようぜ!」と伝えたい、ということです。

 

 

理由③:クリティカル・シンキングの結果を外に出して長期保存するため

私は天才的な記憶能力を持っているわけではないので、クリティカル・シンキングを活用して深く物事を考えたとしても、その思考経路を記憶しておくことはできません。

そうすると、クリティカル・シンキングを繰り返しても、それが私の中で蓄積していかないのです。

なんだかもったいない気がします。

時間をかけて昆布や鰹節から出汁をとったのに、料理に使わずに流しに捨ててしまっているようなものです。

 

そこで、クリティカル・シンキングの結果(やその思考経路)をSNS等で発信することで、自分のアタマの中で起こったことを外部に出して長期保存することが可能になります(この表現は森部高史さんからパクりました拝借しました)。

自分で過去の投稿を読み返したり検索したりできるので、蓄積していく「資産」として残すことができるのです。

また、SNSで発信した内容のなかでも、特に資産として蓄積したいものや反響の大きかったものについては、ちょうど今やっているように、ブログ記事として深堀りして書き直すことで、さらに資産として長期保存できるようになります。

これは大きなメリットであると感じています。

 

 

まとめ

Xでの投稿を深堀りして、「クリティカル・シンキング」についての私の考えを解説しました。

ちょっと主語が大きくなってしまいますが、日本人は一般的にクリティカル・シンキングが苦手な人が多いそうです。

日本ではそのような教育を受ける機会が少ないことが理由だそうです。

また、批判的思考を持ちながら情報をインプットする、というのは、情報発信者の人格を疑っているようで気が引ける、というのも理由の一つかもしれません。

 

しかし、すでに説明したように、インプットできる情報量が爆発的に増えた現代においては、情報を集めることよりも情報を精査して取捨選択することのほうが重要ですし、そのためにはクリティカル・シンキングというスキルは必須です。

また、クリティカル・シンキングというのは、情報発信者の人格を否定する行為ではまったくなく、あくまでも情報そのものをしっかり吟味しましょう、ということです。

そこは分けて考えられるようになりましょう(これも、日本人が苦手な気がしますが)。

 

クリティカル・シンキングの結果をSNS等で発信するかどうかは、個人の好み次第ですが、メリットはあります。

ただ、デメリットもあるので、無理にする必要はないかもしれません。

 

私が発信するときに気をつけているのは、発信の対象はインターネット等の公の場で発信されている情報に限定する、ということです。

「批判されたり疑問を呈されたりするのが嫌なら、そもそも公の場で発信するな」という考えが根底にあります。

逆の立場で考えると、私がSNS等で発信する場合は、批判される覚悟はできている、ということです(批判ではなく人格攻撃等の誹謗中傷は許しませんが)。

裏返して言うと、クローズの場で入手した情報については、SNS等で発信しないのがマナーです。

 

これだけ説明をしても、「なんか屁理屈言っているけど、やっぱり文句言っているようにしか聞こえなくて不快だ!」と感じる方もいるでしょう。

そういう方は、ありがたいことにXにはブロックやミュートという機能があるので、それらを活用して私の発信を見ないですむようにしていただければ。

 

 

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【編集後記】

インフルエンザ予防接種を打ちました。

昨年は、生まれて初めてインフルエンザにかかり、数日間苦しんだので、今年はなんとか避けたいところです。

ただ、子どもが幼稚園でうつされてくると、なかなか防ぎようがない・・・。

症状を軽減する効果だけでもあることを祈ります。