#499 アメリカ大学院留学回顧録② 〜旅立ち&英語苦闘編〜

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Ryan hefner 190737

 

少し時間がたちましたが、前回の続きです。

 

 

渡米前の急展開

Dr. Haffのもとで勉強をするため、Appalachian State Universityから正式な入学許可をゲットし、大学院生アシスタント(GA)というポジションも確保し、「よし!これですべての準備は整った!あとは行くだけだ!」と思っていたその矢先。予想せぬ急展開が待っていました。

ある日突然、Dr. Haffから連絡があり、「テキサス州にあるMidwestern State Universityという大学に移ることになった。一緒に来るならGAのポジションも確保できるけど、どうする?Appalachian State Universityにそのまま入学したいのであれば、その決断は尊重するよ」と言われました。

一瞬、頭が真っ白になりました。そんなこと急に言われても・・・。

しかし、前回のアメリカ大学院留学回顧録①で説明したように、留学先の大学を選ぶ時は、まず「この人のもとで勉強したい」と思う研究者を探してから、その研究者が所属している大学に出願する、という手法を採用しました。つまり、もともとAppalachian State Universityに行きたかったわけではなくて、Dr. Haffのもとで勉強したくて、Dr. Haffが所属していたAppalachian State Universityに出願したのです。

それを考えてみれば、Dr. Haffの移籍先に一緒についていく選択のほうが自然だと思えました。だから「Midwestern State Universityに一緒についていきます」と返事をしました。

その後、あらためてMidwestern State Universityに出願をしないといけなくなりましたが、必要な書類も揃っていたし必要なテストもすでに受けていたので、それほど手間ではありませんでした。

そして、何の問題もなく入学許可も出て、GAのポジションもゲットできて、ようやく渡米の準備が整ったのでした。

 

 

いよいよ渡米&英語の苦労

大学を2002年3月に卒業し、渡米して大学院での勉強を開始したのが2002年7~8月でした。2001年9月にアメリカ同時多発テロ事件が発生し、ちゃんと留学できるのか心配していましたが、私が渡米する時には大きな問題はありませんでした。

渡米してテキサスに着いてみると、かなりのど田舎でした。大学1年生の時に1週間ホームステイしたカリフォルニア州のパサディナとは大違いで、「すごいところに来ちゃったな・・・」と感じたものです。ま、今思えば、テキサス州の中でも特に田舎の街だったからなんですけど。

 

現地では大学の寮に住むことになりました。日本で言うところの2LDKの部屋を4人でシェアして暮らしていました。自分以外の3人はすべてアメリカ人です。

正直言って、英語は少し自信があったのですが、彼らと会話してみると、全然聞き取ることができず、愕然としました。オーマイガッって感じです。

もしかしたら、彼らの話すテキサス訛りのせいで聞き取りづらかったのかもしれませんが、それよりも、日本で勉強していた教科書的な英語とアメリカ人の彼らが実際に話す日常会話の英語が大きく異なることが原因だったと今では思います。彼らはスラングをガンガン使っていたので。「ファッキン」ばっか言いすぎじゃねえか?と思うくらいでした。

これからアメリカ留学を考えている人は、教科書的な英語を勉強するだけでなく、実際の英会話を映画やドラマのDVD等を見て勉強しておくことをオススメします。

 

 

下ネタは言葉の壁を超える!?

シェアメイトの3人はもともと友達同士だったようで、週末になると彼らの他の友達も部屋に遊びに来て、とても賑やかでした。

あいかわらず彼らの英語が全然聞き取れなかったので、ベッドルームに引きこもりたい気持ちもあったのですが、それではいつまでたっても英語が上達しないと思い、無理して彼らの輪の中に入り、できるだけたくさん英語を聞こうと努力したものです。

彼らはとても「良い奴ら」だったので、英語がままならない私のことも受け入れてくれて、とても仲良くしてくれました。それでも、やはり言葉の壁もあり、イマイチ仲良くなりきれない感覚はありました。

 

そんな壁を取り払ってくれた出来事がありました。それを私は「ストリップクラブの夜」と呼んでいます。

ある金曜日、大学のカフェテリア(学食)で食事をしていると、シェアメイトが私を見つけて近づいてきました。「ヘイ、ナオキ。今夜は暇か?俺たちストリップクラブ行くけど、一緒に行かない?」と誘ってきたのです。

日頃から品行方正な私は「ス、ストリップ!?」と一瞬迷いましたが、せっかくシェアメイトが誘ってくれているんだし、ここは思い切って飛び込んでみるべきだ!と思い、一緒に行くことにしました。決して、イヤラシイ気持ちがあったわけじゃないですよ。多分・・・。

そして、初体験のストリップクラブ。詳しい話は省略しますが、なかなか刺激的な経験だったとだけ申し上げておきましょう。

しかし、日本でイメージしていた「ストリップ劇場」ほど生々しい感じではなく、もう少しカジュアルな感じでした。私が通っていた大学で留学生に英語を教えていた先生も来てたし(笑)コソコソすることなく挨拶もしてくれたので、別に後ろめたい感じじゃなかったのでしょう。

帰りの車の中ではシェアメイトと「ナオキ、どの女の子がタイプだった?」「俺はあの子が良かった」「俺もだよ!」なんて会話で盛り上がり、意味もなくハイタッチしたりなんかして、その夜以降、シェアメイトとの距離も近づき、彼らも今まで以上に親しく接してくれるようになりました。

そこで私が学んだ教訓は、「下ネタは言葉の壁を超える」「下ネタに国境はない」「外国人の友達と仲良くなるには、下ネタを話すべき」ということでした(男限定の話です)。男って単純だな〜と笑いたくなるくらい、「ストリップクラブの夜」以降、急速にシェアメイトと仲良くなっていったのです。

今後、アメリカに留学する男子諸君は、是非とも下ネタを駆使して、現地の友達と仲良くなってください。女性の場合はこの作戦は使えないと思うので、他の方法を探してください。

 

 

授業の英語

シェアメイトや大学院の友達との英語での会話にはとても苦労したのですが、授業の英語については比較的よく聞き取ることができました。

というのも、授業中に教授がスラングを使いまくって「ファッキン」とか言うわけもなく、フォーマルな英語を使って授業をしてくれるので、日本で勉強していた教科書的な英語で十分対応できたからです。

だから、スポーツ科学やS&Cを学びにアメリカ留学するのであれば、とりあえず日本で教科書的な英語をみっちりと勉強しておくことをオススメします。少なくとも授業にはついていけるようになりますし、留学生としてはそこが最優先なので、まずはそれでいいでしょう。

しかし、それでも、スポーツ科学関連の言葉の発音の聞き取りでは苦労しました。

たとえば、グリコーゲンは英語でglycogenといいますが、発音としては「グライコジェン」って感じです。最初は何言っているのか全然理解できませんでした。「グライコジェンってなんやねん!」って感じです。あと、クレアチンキナーゼとかも英語の発音だと「クレアチンカイネース」みたいな感じで全然違います。でも、がんばって勉強していればそのうち専門用語の発音も憶えていくから大丈夫です。

 

 

まとめ

とりあえず英語については、授業以外の会話の部分で非常に苦労しました。アメリカには2年間いましたが、それでも全然自信を持てるほど英語が上達した感触はありませんでした。実際、アメリカでの2年間のあと、オーストラリアでさらに3年間過ごして、オーストラリアを去る頃になってようやく「俺も英語が流暢に話せるようになったな」と感じることができたほどです。私の場合は、アメリカとオーストラリア合わせて5年間かかってようやく満足行くレベルにまで英語力を向上することができたのです。

それでも、アメリカ留学中は授業についていくことは問題ありませんでしたし、英語で論文や教科書を読み、自分で英語の論文を書くこともできました。それは、日本で教科書的な英語をみっちりと鍛えていたからだと思います。だから、今後留学を考えている人は、教科書的な英語を徹底的に勉強して準備を整えていただければと思います。そのうえで、余裕があれば映画やドラマのDVDを観て、生きた英会話にも触れてみるとなお良いでしょう。

 

 

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【編集後記】 

最近見つけたこの動画にハマって何回も観てしまっています。今、英語の動画を楽しめるのも、留学中に苦しんだ経験があったからこそだと実感しています。