為末大さんの著書「諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない」。
ずーっと気になっていましたが、ようやく読みました。
とても新鮮なものの見方を教えてもらって、自分の考え方が広がったような感覚になりました。
とくにアスリートにはオススメです。
キャリアの終盤ではなく、できるだけ早い段階で読んでもらいたいです。
「努力」のタイプ
この本でとくに共感できたのが、「努力」について書かれている部分です。
為末さんは、「努力」には2つのタイプの努力があると述べられています:
- ①積む努力
- ②選ぶ努力
①積む努力
「積む努力」というのは、“苦しい練習を耐え抜いたり、こつこつと積み重ねる”タイプの努力のことです。
べつの言い方をすると「どれだけ」がんばれるかという努力のことです。
忍耐力と言ってもいいかもしれません。
一般的に、日本人アスリートの多くが「努力」と聞いて思い浮かべるタイプの努力と言ってもいいでしょう。
こちらのタイプの努力が得意なアスリートは日本人に多い印象です。
というか、日本のスポーツ指導のシステムや指導者が、そのような「積む努力」が得意なアスリートを生み出している側面もあるでしょう。
②選ぶ努力
一方で、「選ぶ努力」とは、積む努力とは“まったく別の次元で「うまくいくように工夫する」という努力”のことです。
べつの言い方をすると「何を」がんばるか、「どう」がんばるか、という方向性のことです。
日本人アスリートには、こちらのタイプの努力が苦手な人が多い印象があります。
そもそも、「努力」と聞いた時に、①のタイプの積む努力しか思い浮かべず、②の選ぶタイプの努力があることを認識していないアスリートも結構いるのではないでしょうか?
積む努力 vs. 選ぶ努力
どちらのタイプの努力が必要なのか?
結論から言うと、両方必要です。
練習やトレーニングはキツければいい・苦しければいいというものではありませんが、効果のでるやり方を追い求めると、結果としてキツかったり苦しかったりすることがあります。
それに耐えて地道にこつこつと積み重ねることができるかどうかは、アスリートの才能を伸ばすことができるかどうかに直接つながります。
こちらは「積む」タイプの努力ですね。
日本のスポーツ界では、指導者から「これをやれ!」と言われたら反論することが難しく、やるしかないという状況が多いため、こちらの「積む努力」が養われる傾向があるように感じます。
ただし、そういう環境で育まれるのは「積む努力」の中でも、「耐える」タイプの受け身的な努力であるケースが多いでしょう。
同じ「積む努力」でも、練習やトレーニングをやって上達するのが楽しくてたまらない、という積極的なタイプの努力ができるアスリートのほうが圧倒的に強いです。
その一方で、耐えることが得意だったり、いくらでも素振りをできる・何球でも投げられる・何本でも走れる・何本でも泳げるというアスリートであっても、その努力が空回りすることがあります。
「なんでこんなに努力をしているのに結果に結びつかないんだ!」と悩んでいるアスリートも多いかもしれません。
そういう場合、「積む努力」はがんばっているけど、「選ぶ努力」を怠っていないか、考えてみてください。
「選ぶ努力」をせずに「積む努力」だけしても、努力の方向性が間違っていたら、それは「無駄な努力」になってしまう恐れがあります。
運良く優秀な指導者に恵まれた場合は、自分で「選ぶ努力」をしなくても、そこの部分を指導者に外注することになるので、アスリート本人は「積む努力」だけしていれば結果が出ることもあります。
たとえば、実績のあるアスリートが、それまで指導を受けていたコーチのもとを離れると、成績が下ることがあります。
もしかしたら、年齢的にパフォーマンスが下がる時期とコーチのもとを離れた時期が重なっただけかもしれません。
でも場合によっては、「積む努力」が得意なアスリートが「選ぶ努力」の部分をコーチにうまく外注していたから活躍できていたけど、「選ぶ努力」を自分でやらなければならなくなったらそこが実は苦手で、結果として成績が下がってしまったということもあるでしょう。
努力には「積む」タイプと「選ぶ」タイプがあることを認識したうえで、後者が苦手なようであれば、そこの部分を指導者に外注することも選択肢としてもっておくとよいでしょう。
もちろん、すべての指導者の腕が同じであるわけではないので、自分の「選ぶ努力」をうまく代わりにやってくれる有能な指導者を選ぶ努力もアスリートには必要になります。
「選ぶ努力」の部分を外注するにしても、誰に外注するかを見極めるための努力はやっておいたほうがいいでしょう。
トレーニング指導の専門家(ストレングス&コンディショニングコーチ)の役割は「選ぶ努力」を手助けすること
私は「ストレングス&コンディショニングコーチ」という肩書で、アスリートのトレーニング指導を専門として働いています。
為末さんの著書「諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない」を読んでいて、私の役割はトレーニングにおいて「選ぶ努力」を手助けすることなんだな〜と感じました。
テレビやインターネットを見ていると、アスリートがわけのわからないトレーニングをやっている(やらされている)映像を目にする機会があります。
アスリート自身は一生懸命に取り組んでいます。
「そこまで自分自身を追い込めるなんてすごいな」と思うことさえあります。
つまり、「積む努力」はできるアスリートです。
しかし、そんなにがんばることのできるアスリートが、専門家である私から見ると「意味がない」「ケガの恐れがある」と思えるトレーニングに取り組んでいたりするのです。
「せっかくやる気はあるんだから、もったいない。もっと適切なトレーニングに取り組めば、もっと結果も残せるだろうに・・・」と忸怩たる思いでそのようなトレーニング映像を見ることも少なくありません。
とくに、そのような間違ったトレーニングを専門家を自称する人からアスリートがやらされているのを目撃した場合は、ツイッターで軽く毒を吐くこともあります。
そんなアスリートに対して、「選ぶ努力」の部分で手助けをして、努力の方向性を適切なほうに導くのが私のような専門家の役割です。
「この方向性でトレーニングを続ければ必ず結果が出る」という部分を任せてもらえることで、アスリート自身が不安を持たずに、目の前のトレーニングを信じて打ち込むことができるようになります。
つまり「適切な方向性を示す」とか「選ぶ努力を肩代わりする」といったところに、私が提供するトレーニング指導というサービスの価値が存在し、その対価をいただいているということです。
逆に言うと、1つ目のタイプの「積む努力」については、私が手助けできることは少ないです。
以前にも紹介したことのある英語のことわざがあります:
You can lead a horse to water, but you cannot make him drink
(馬を水の所まで連れていっても水を飲ませることはできない 《自分でやる気のない人はどんなに指導しようとしてもだめだ》) weblio英和辞典・和英辞典
私の役割は、水の所まで連れていくお手伝いをすることです。
これは「選ぶ努力」の部分ですね。
しかし、水を飲ませることはできません。
飲むのはアスリート自身です。
これが「積む努力」の部分です。
つまり、もともと自分で水を飲む意志のあるアスリートを水の所まで早く安全に連れていく案内人がストレングス&コンディショニングコーチの役割ということです。
まとめ
努力には「積む努力」と「選ぶ努力」の2つのタイプがあるということを認識してください。
そして、後者のタイプが苦手なアスリートが日本には多いということも知っておいてください。
もし、自分がそういうアスリートに当てはまるとしたら、「選ぶ努力」は指導者に外注することも選択肢に入れておきましょう。
ただし、指導者の質にも差があるので、よりよい指導者を選ぶための最低限の努力はしておいたほうがいいです。
トレーニングに絞って言うと、トレーニング指導の専門家に外注することで、トレーニングにおける努力を適切な方向に導いてもらえる可能性が高まります。
もちろん、ストレングス&コンディショニングコーチの質にも差があるので、よりよいストレングス&コンディショニングコーチを選ぶために、アスリート自身が最低限のリテラシーは身につけておきましょう。
#430 【アスリート向け】アスリートも「トレーニング情報リテラシー」を身に付ける必要があるのでは?
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【編集後記】
昨日はオキシクリーンという洗剤を使って、洗濯機の洗濯槽そうじをしました。
やり方はネット検索をするといろいろとでてきます(たとえばコレ)。
えげつないほど汚れが取れました。
逆に、今まではこんなに汚れがついた洗濯機で洗濯していたのか・・・と不安になるほどの汚れの落ち具合でした。