ちょっと前に以下のようなツイートをしました:
マニュアルに沿った指導を提供しているジム側を批判するRTが多いけど、個人的には「そのマニュアルを超える実力を身に付けてから文句言えや」という感想。
超えたらマニュアルを改善する立場になればいいし、それが許されないならやめればいい。
給料もらってんだから指示に従うのは当たり前。 https://t.co/UNAz2nEE6j
— 河森直紀 Naoki Kawamori (@kawamorinaoki)
今日はこのツイートの内容を深掘りしてブログを書いてみます。
トレーニング指導において「マニュアル」は善か悪か?
冒頭の私の引用リツイートは、「ジムに就職したけどマニュアルに沿った指導しか出来ない(許されない)」と嘆いている若手トレーナーについてのツイートを読んで反応したものです。
元のツイートに対しては、どちらかというと、マニュアルに沿った指導を提供しているジム側を批判するようなコメントや引用リツイートが多かったです。
ただ、私はそのようなスタンスに対して違和感があり、異なる意見をツイートしたという形です。
私が感じた違和感は2種類に分けられます:
- 違和感①:給料もらってるんだから、指示に従うのは当然だろ
- 違和感②:そもそも、トレーニング指導において「マニュアル」ってそんなに悪いこと?
違和感①:給料もらってるんだから、指示に従うのは当然だろ
冒頭で紹介したツイートにおいては、主に①のタイプの違和感について、私の意見を表明しました。
組織に雇われて、給料をもらっているわけですから、指示に従うのは当たり前です。
そのジムにおいて「マニュアル」が存在しており、それに沿ってトレーニング指導をすることが求められているのであれば、文句なんて言わずに一生懸命取り組むべきです。
それに対する対価として給料が支払われているわけですから。
それが嫌で、自分の好きなようにやりたいなら、独立してフリーランスとして活動するか、自分でジムを作って指示を出す側になるべきでしょう。
それもせずに、組織に残り、安定した給料をもらいながら、ごちゃごちゃ文句を言うなんて最低です。
私が雇う側ならそんなやつはさっさとクビにしてやりたいところですが、日本の法律上、簡単にクビにはできないので、余計に最低だと思うわけです。
もちろん、実績のあるパーソナルトレーナーに対して、「自由にトレーニング指導してもらっていいので、結果を出してください」と組織側が依頼をして報酬を払うというケースもあるでしょう。
しかし、まだ駆け出しの若手パーソナルトレーナーに対して、そのような条件で給料を払うジムは少ないはずです。
ジムで用意した「マニュアル」に沿ってトレーニング指導をしてもらったほうが、結果が出る確率も高まるし、再現性の高いサービスを提供できるからです。
つまり、ジムとしては若手パーソナルトレーナーの実力よりも「マニュアル」のほうが優れている、と認識しているわけです。
実際、その認識が正しい場合のほうが多いでしょう。
悔しかったら、まずは「マニュアル」に沿って一生懸命トレーニング指導をする経験を積み重ねながら腕を磨き、いつか「マニュアル」を超えてみろ!ということです。
そして、もし超えたら、組織に残って「マニュアル」を改善する側に回るか、組織を去って自分のやり方でトレーニング指導をできる環境を作り上げるか、選べばいいのです。
違和感②:そもそも、トレーニング指導において「マニュアル」ってそんなに悪いこと?
元のツイートに対しては、「マニュアル通りのトレーニング指導をさせるジムなんてダメだ」という趣旨のネガティブな反応が多かった印象があります。
そこに私は違和感を感じました。
むしろ、「しっかりとマニュアルを用意しているなんて、ちゃんとしたジムだな」と私には好ましく写りました。
もっと言うと、私は今は個人で活動していますが、将来的にジムを作って人を雇うことになったら、必ず「マニュアル」を作るだろうと思います。
そのくらい、私は「マニュアル」に対して悪いイメージはないのです。
「マニュアル」という言葉に対して、人々の反応がここまで違う理由の1つは、「マニュアル」の捉え方や定義が人によって異なるからだと思います。
「マニュアル」と聞くと悪いイメージをする人の多くは、大手のフィットネスジムに入会直後に渡される数カ月分のプログラムみたいなものを想像しているのかもしれません。
たとえば、「レッグプレス3×10、チェストプレス3×10、ラットプルダウン3×10」みたいなやつです。
個人差も考慮されておらず、状況に応じて内容を変更する柔軟性もありません。
たしかに、そんな「マニュアル」に沿って指導しろ、と指示されたら、私だったらさっさとそのジムを退社することでしょう。
しかし、私が考える「マニュアル」は、それとは大きく異なります。
私にとって「マニュアル」とは、「実施するトレーニング指導のやり方を言語化してシステマティックに仕組み化したもの」です。
マニュアル化をしていようがいまいが、トレーニング指導の専門家であれば、「こういうケースでは〇〇トレーニングを提供しよう、別のケースでは△△トレーニングを提供しよう」という方針がご自身の中で決まっているはずです。
私の中でも「まずはAをやってもらって、それができたら次はBをやってもらって、それができたら次はCをやってもらって」みたいなことが決まっています。
さらには、「なかなかAができるようにならないのであれば、代わりにA’をやってもらおう」「Aができるように継続してがんばってもらいつつ、Bの代わりにB’を先に導入してしまおう」「この競技においてはCは必要ないからスキップしてDに進んでもらおう」みたいな感じで、状況に応じて複数の選択肢も用意しています。
そのような私のやり方や思考経路を他の人に代わりにやってもらおうとすると、「実施するトレーニング指導のやり方を言語化してシステマティックに仕組み化したもの」が必要になり、それが「マニュアル」である、というのが私の認識です。
そんな「マニュアル」さえも否定するのであれば、もはや適切なトレーニング指導を提供するのは不可能だとすら思います。
また、トレーニング指導の専門家の多くが、経験を重ねたり、勉強をしたりしながら、ご自身のやり方を改善し続けているはずです。
それと同様に、私が考える「マニュアル」は、一旦できてしまえば変更することのできないものではなく、より良いやり方を求めて常に改善し続ける必要のあるものです。
仮に、私がジムを作って人を雇って「マニュアル」を作ったとしたら、「マニュアル」を改善できそうな点が思いついたらスタッフにフィードバックしてもらいます。
そのうえで、実際にマニュアルを変えるかどうかの最終判断は私が下します。
「マニュアル」を勝手に変えてトレーニング指導をすることは許さないけど、改善できそうなことがあればスタッフも提案できて、それを最終責任者である私が良いものと認めればマニュアルを変更する。
それが私がイメージする「マニュアル」です。
そういう形で、組織として「マニュアル」を改善させ続ける仕組みを作れば、「マニュアル」というのは個々のパーソナルトレーナーの能力を超えた集合知としての役割を果たしてくれるようになるでしょう。
組織の一員として、そのような「マニュアル」を改善させながらより良いサービスを提供することにやりがいを感じるなら、社員として残ればいいでしょう。
どうしても自分独自の「マニュアル」を作り上げたい、という欲求のほうが上回るのであれば、組織を離れて独立すればいいでしょう。
とはいえ、新しい組織を立ち上げることになったとしても、「マニュアル」というものからは離れられないはずです。
「マニュアル」を作らず、組織のスタッフそれぞれが自由にやりたいようにトレーニング指導をすることを許してしまうのであれば、組織としての強みを出すことはできません。
そして、組織としての強みをだせないのであれば、ビジネス的にもうまくいかないでしょうし、そもそも人を雇って給料を払うのに見合ったリターンを得られることもないでしょう。
だったら、自分の頭の中だけに存在する「マニュアル」に沿って、個人で活動するほうがあなたには合っているはずです。
まとめ
冒頭のツイートをしてから、「マニュアル」ってそんなに悪いものではないのにな〜、と思っていました。
少し時間をおいて、頭の中を整理した上で、「マニュアル」に対する私の考え方を書いてみました。
善か悪か、で言うと、「マニュアル」は善だと私は思います。
適切な作り方・使い方をすれば、というのが前提ですが。
もしかしたら、「マニュアル」という呼び方が悪いイメージを与えてしまうのかもしれません。
代わりに「仕組み」とか「システム」と呼ぶことも可能です。
私が考える「マニュアル」「仕組み」「システム」が何を指しているのかをさらに深く知りたい方向け、以下の書籍をオススメしておきます。
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【編集後記】
7月に新居への引越しを予定しています。
引越し前後はやることが多く、お金も結構かかり、かなり大変です。
早く引越しをして落ち着きたいものです・・・。
なんとかがんばって乗り切ろうと思います。