最近、とても共感するツイートを見つけました:
その時々で利用可能な最良のエビデンスを元に説明すると、言うことが変わることがあります。
例えば、パンデミック初期に「マスクに感染予防効果のエビデンスがない」と言った医師は、その時点では正しいです。
ずっと言うことが変わらないことの方が科学的でない場合があることにご注意ください。 https://t.co/9AwV2AlzWK
— 手を洗う救急医Taka (@mph_for_doctors)
一貫性が重要なのはその通りですが、結論の一貫性ではなく思考過程の一貫性が求められます。
思考過程に一貫性があると、自ずと結論に一貫性が得られなくなります。
これは「科学は進歩するから」というシンプルな現象で説明可能です。
— 手を洗う救急医Taka (@mph_for_doctors)
以前に私が書いたブログ記事の内容にも通じるところがあります。
» 参考:やり方や考え方をアップデートすることを怖がらない、申し訳ないと思わない
私のブログ記事では、自分という「個人」の考え方や知識が進歩したら言うことが変わることがある、というニュアンスで説明をしています。
冒頭で紹介したツイートでは、「科学」が進歩したら言うことが変わることがある、というニュアンスで説明がされています。
ビミョーに違うといえば違うんですけど、コアになる部分(=主旨)は共通しています。
それは、「言うことが変わることがある」という点です。
そして、その「変わる」というのが、ランダムにコロコロと変わるわけではなく、良くなる方向に変わる(=進歩する)ことを指しているという点も共通しています。
言うことを変えるのは勇気がいるけど、逃げてはいけない
言うことを変えるのは勇気がいります。
とくに、ブログやSNS等で積極的に発信している場合、過去の発言が残っているので、それを引き合いに出されて「過去に言っていたことと矛盾しているじゃないか!」と批判される恐れがあります。
また、ブログやSNS等で発信していなかったとしても、トレーニング指導対象者に対して過去に言ったこと・やらせたことを変える場合には、「あれ?前に言っていたことと違うな・・・」と不審に思われてしまうかもしれません。
発言が一貫していない、と捉えられて信頼を失ってしまう恐怖は、私も常に感じています。
とはいえ、そうしたことを過度に恐れてしまうと、以下の2つの選択肢のうちどちらかを選ぶことになってしまいます:
- 発言をやめてしまう
- 過去の発言との整合性を持たせるため、言うことを一切変えない
どちらにしろもったいないです。
とくに後者を選択してしまうと、進歩をやめてしまうということにもなります。
ネット上のどこの誰だかわからない人に批判されるのを恐れるあまり、目の前のトレーニング指導対象者やフォロワーさんに不利益を与えてしまうことになりかねず、本末転倒です。
「過去の自分の発言との整合性を持たせたい」という気持ちは痛いほどよくわかります。
そう考える人は、おそらく誠実な性格の持ち主なのでしょう。
しかし、整合性を持たせることを優先するあまり、自分のやり方や考え方を変えない、というのはとても危険なことです。
過去の発言が間違っていたことが判明しても、整合性を優先して間違えを認めないってことになりかねません。
あるいは、「間違っていた」とまではいかなくても、より良い考え方・やり方が新しく出てきても、それを取り入れないってことになるかもしれません。
どちらにしろ、目の前のトレーニング指導対象者やフォロワーさんに不利益を与えることになってしまいます。
結論の一貫性ではなく思考過程の一貫性
「そんなこと言われたって、だったらどうすればいいんだ〜!!」
そう思われる方もいらっしゃるでしょう。
そこでヒントになるのが、冒頭で紹介したツイートに書かれている「結論の一貫性ではなく思考過程の一貫性」という言葉です。
この言葉を私なりに解釈すると、「言うこと(=結論)は変わってもいい。なぜそう言うのかに至るまでのプロセス(=思考過程)に整合性があれば」ということになります。
そして、この「思考過程」で重要なのは、「その時点で『これがベストのやり方だ』と自信をもって言い切れるくらい、自分の知識やスキルを高めるために最大限の努力をし、目の前のアスリートや状況にとって最適なやり方を自分の頭を使ってトコトン考え抜く」という点です。
そのようなプロセスを常に怠らずにできているか、を意識すればいいんです。
そのプロセスを積み重ねていけば、自分の知識や経験が増えていくので、結果として言うこと・やることが変わるかもしれません。
科学的知見に基づいたトレーニング指導を提供するために最新の論文を読み続けていれば、科学が進歩するにつれて、言うこと・やることが変わるかもしれません。
それでいいんです。
それは「進歩」なのですから。
むしろ、「思考過程の一貫性」を意識していれば、「結論」が次第に変わっていくのは当たり前のことです。
第三者から結論が変わったことを批判されても、「それは私が進歩したからです」「それは科学が進歩したからです」と言えばいいだけです。
申し訳なく思う必要はありません。
まとめ
言うことが変わるのを恐れる必要はありません。
とはいえ、脈絡もなくコロコロ変わってしまうのもよろしくありません。
そのあたりをうまく説明する言葉を私自身持ち合わせていなかったのですが、冒頭で紹介したツイートで「結論の一貫性ではなく思考過程の一貫性」という表現を見てピンときました。
まさに私が考えていたことが言語化された気分です。
専門家としての腕を磨くために最大限の努力をしつつ、論文を読んで科学的知見をアップデートし、その時点でベストと思われるサービスを提供したり、その時点でベストと思われる意見を発信したりする。
その姿勢や思考過程が一貫していること、整合性があること、を重視しましょう。
結果として言うこと(=結論)が変わってしまうことは恐れずに、それは進歩なんだ、と捉えましょう。
そして、自信を持って「それは進歩です」と言えるように、専門家として最大限の努力を続けましょう。
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【編集後記】
先日、「科学的知見に基づくプログラムデザイン」シリーズの第一弾として「トレーニング頻度と量」セミナーを実施しました。
セミナー当日まで2週間もないくらいのタイミングで募集を開始したのですが、無事に定員が埋まり、プログラムデザインというトピックに対する関心の高さを感じました。
「トレーニング頻度と量」セミナーは、何回か繰り返しながら内容をブラッシュアップさせていきつつ(変えることを恐れずに!)、「科学的知見に基づくプログラムデザイン」シリーズの他のトピックでの新作セミナーの準備も進めていきたいと思います。