先日、以下のようなツイートをしました。
個人・目的・状況によって適切な手段は異なる、という文脈で「いろいろなやり方がある」と言うのはOK。それは私もそうだと思います。
ただ、目の前の個人・目的・状況に対して「これが考えうるベストの選択だ」と自信をもって決断できずに「いろいろなやり方がある」と言うのは専門家としてアウト。
— 河森直紀 Naoki Kawamori (@kawamorinaoki)
このツイートの後半部分の「自信」という点について、理学療法士の方と議論になりました。
以下のツイートから、その後のツイートの流れを追っていただければ、どのようなやり方があったのか、ある程度把握できるはずです。
ここまでの流れは河森さんが言ってることが正しいとは思いますが、この点だけ。
この考え方を患者さんに対して持つ理学療法士はそれこそ「アウト」なんですよね。
トレーニングの提示においては必要な考え方ですが、介入過程においてこの自信を持つとリーズニングエラーの原因になります。 https://t.co/syeMWhY7Tu
— 水口 翔平 | カタラボのひと (@katalab_s)
珍しくツイッター上で冷静な議論ができたのですが、最終的には「自信」という言葉をどう捉えるのかで違いがあるようだ、ということで解決できました。
せっかくなので、S&Cコーチとしての「自信」について、私なりの現在の考え方をブログでシェアしてみます。
S&Cコーチとして「自信」は必要か?
正直なことを言うと、私も若い頃は、S&Cコーチとして自分のやっていることに自信がありませんでした。
知識も経験もスキルも低かったので、それはしょうがないと思います。
逆に、S&Cコーチとして活動し始めてまもないのに自信満々だったとしたら、それは、自信ではなく過信です。
自分の能力の低さを自ら認識できていた、というだけでも、若い頃の私を評価してあげたい。
「ダニング=クルーガー効果」なるものを知った今、そう感じています。
とはいえ、S&Cコーチとして経験を積み、継続して勉強をして知識も増えてくると、少しずつ自信もついてくるものです。
今となっては私もS&Cコーチとして、自信を持ってプログラムデザインをしてエクササイズ指導をしています。
むしろ、プロとしてトレーニング指導をしているのであれば、「これをやれば競技力向上に貢献するはずだ!」と自信を持って言えないようなことをアスリートにやらせるのは無責任だ、くらいに考えています。
そういう私の考え方を反映したのが、冒頭のツイートの後半部分の文章でした。
「このトレーニングのやり方がベストかどうかわからないけど、とりあえずやってみてください」みたいな感じで、自分が自信を持てないようなトレーニングを提供するなんて、アスリートに対して失礼ですよね。
トレーニングはキツいことをやればいいってもんじゃないけど、時としてキツいことをやってもらわないといけないこともあります。
それなのに、効果があるかどうか自信のないものを提供するなんて、ヒドいじゃないですか。
私がアスリートの立場だったら「自信もないのに、こんなキツいことやらせてるのか、ふざけるな!!」と激怒すると思います。
また、アスリート本人がトレーニング指導に対する対価を支払っている場合は、こちらをプロと認めて、お金を払ってでも専門的なサービスを受けたいと思ってくれているわけです。
それに対して自信のないものを提供するなんて、軽い詐欺ですよね。
そのような考え方があるので、私はS&Cコーチとして、自分が自信をもって「これをやれば競技力向上に貢献するはずだ!」と思えるものを提供するようにしていますし、それが専門家としての責任だと信じています。
不安と自信の両立
アスリートに対して提供するトレーニングを選択するときに自信をもつ必要がある。
この考え方が前提にあるからこそ、自信を持つために、常に自分の知識やスキルを向上させるという行動に繋がっているのだと、私は信じています。
「自信があるから、もうこれ以上学ぶことはなにもない」なんていうのとは、真逆の考え方です。
「自信を持ったものを提供すべきだ!」なんて言うと、「河森はなんでも知っている全知全能の神かなんかのつもりか!慢心しているだけじゃないのか!」と思われるかもしれません。
しかし、私だって今の自分の知識やスキルがこれ以上伸びることはない最大限のレベルに到達している、という自信があるわけではありません。
むしろ、常に不安を抱えています。
このエクササイズでいいのかな?この時期はトレーニング量を減らすべきか・維持すべきか・増やすべきか?声がけもっといいやり方があるのでは?etc…
そんなことを常に頭の中で考えています。
不安と自信。
この2つが両立することはない、とお考えの方が多いかもしれませんが、私は十分両立しうると考えています。
むしろ、過信ではなく根拠のある自信を持つためには、不安という感情が不可欠だと思います。
自分が専門家として最高のサービスを提供できているか不安だからこそ、もっと勉強して知識やスキルを仕入れて磨こうとするわけです。
だから私もセミナーに参加したり、本を読んだり、論文を読んだりしています。
また、それらのインプット型の勉強だけでなく、ブログを書いたり、セミナーを自主開催したり、本を執筆したりといったアウトプット型の勉強も、S&Cコーチとしての自分の腕を磨くため意識的に取り組んでいます。
そして、勉強をして知識やスキルを向上させたうえで、目の前のアスリートやチームの状況に応じて、何を提供するのがベストなのかをトコトン考え抜く。
それらの努力をして初めて、自信をもって「これが考えうるベストの選択だ」という決断ができるわけです。
その時点で考えうるベストに自信をもつ
ここでポイントなのは、「考え“うる”ベスト」という点です。
実際のところ、自分の選択が「真の意味でのベスト」なのかどうかなんてわかりません。
たとえば、10年後に研究であきらかにされた事実によって、今日下した選択がベストではなかった、もっと良いやり方があった、ということが将来的に判明することだってあるでしょう。
つまり、今日S&Cコーチとして決断するベストの選択というのは、現時点でわかっていることのなかで考え“うる”ベストでしかない、ということです。
私だって、今日自分の下す決断が「真の意味でのベスト」である、という自信はありません。
10年後まったく同じような状況に直面したときに、今日とは異なる選択をすることは十分ありえます。
自信が必要だ、とはいえ、自分のやり方や考え方に固執すると逆に危険なので、必要であれば変えることをためらわないように意識しています。
» 参考:やり方や考え方をアップデートすることを怖がらない、申し訳ないと思わない
したがって、「自分が自信をもって『これをやれば競技力向上に貢献するはずだ!』と思えるものを提供するべきだ」と私が主張しているときに意味している「自信」というのは、「真の意味でのベスト」を選択するのは不可能であるという前提のもとで、それでもその時点で得られる限りのスキルや知識を手に入れる努力をしたうえで、目の前のアスリートやチームの状況にとって何がベストなのかをトコトン考え抜き、もうこれ以上の選択はどれだけ振り絞ってもでてこない、という極限まで努力をしたことへの「自信」です。
さらにいうと、それらの努力を専門家を名乗って恥ずかしくないくらい高いレベルでやったことに対する「自信」です。
そこまでの極限の努力をすると、「これが真の意味でのベストな選択ではないかもしれないけど、現時点で考えうるベストの選択のはずだ、これでダメならしょうがない」という、ある意味諦めの境地に到達します。
逆に言うと、「これでダメなら現時点ではしょうがない」と思えるくらいまでの努力をして初めて「自信」が生まれるということです。
私がS&Cコーチとして必要だと思うのは、そのようなタイプの「自信」です。
まとめ
今日のブログ記事のタイトルである「S&Cコーチとして『自信」は必要か?」という問いに対する私の答えは「YES」です。
現時点ではこれ以上の選択はどれだけ振り絞ってもでてこない、というところまで努力をしたうえで、自信をもってトレーニングを提供すればいいと思います。
そして、そのうえで、常に不安を持ちながら「もっと良いやり方はないか?」と模索し続けるわけです。
一見矛盾するように聞こえるかもしれませんが、つねに不安と自信をもってトレーニング指導をしていきたいと、個人的には考えています。
S&Cコーチとしての不安と自信を失ったときは、この仕事を引退するときです。
1つの考え方として、参考にしていただければ。
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【編集後記】
Kindle出版をしてみようと考え、執筆中です。
過去に出版した紙の本ほど文字数は多くないけど、ブログ記事よりははるかに多い、みたいなところを狙っています。
おそらく2〜3万文字くらいの読み物になるはずです。