今日は「リスク」をどう捉えるかについて書いてみます。
リスクゼロを求めるのをやめよう
たとえば、ウエイトトレーニングは比較的「ケガのリスク」が低いというデータがあります。
さらに、まともなS&Cコーチであれば、トレーニング中にアスリートにケガをさせないように、細心の注意を払って健康的なフォームを指導するので、ケガのリスクはさらに抑えられるはずです。
しかし、だからといって「リスクが低い=リスクがゼロ」ということではありません!
カラダを動かして運動する以上、リスクは伴います。
リスクゼロを求めて、そもそも運動を一切しない(例:家でず~っと寝ている)という選択をすれば、短期的にはリスクを取り除けるかもしれません。
しかし、長期的なリスクを考えると、運動をしないことで体力の低下が起こり、結果としてケガをしやすいカラダになってしまうはずです。
そもそも、アスリートにとって運動を一切しないという選択肢はないんですけどね・・・。
つまり、リスクゼロなんてありえないんです。
何をやるにしたってやらないにしたって、リスクは存在します。
リスクの大きさが異なるだけです。
したがって、リスクゼロを追い求めるというナンセンスな考え方は捨てて、リスクの大小を比較して決断をするという思考に切り替える必要があります。
さらに言うと、リスクの大小に加えて、それを行うことによる効果・利益の大小も含めての判断が重要です。
英語でいうところの「risk-benefit ratio」というコンセプトです。
やらないことのリスクも考えよう
「リスクゼロなんてありえない、どんなことでもリスクは存在する」と考えられるようになると、物事の見方が広がります。
たとえば、ウエイトトレーニングを取り入れていないアスリートやコーチの理屈の1つとして「重いものを持ち上げたらケガする」という根拠のない偏見・恐れがあります。
しかし、すでに述べたように、ウエイトトレーニングは比較的ケガのリスクの小さい活動です。
むしろ、競技の練習をするほうがケガのリスクが高いことが多いです。
また、ウエイトトレーニングを実施することでケガのリスクを1/3以下に抑えることができるという研究データも報告されています。
» 参考:【論文レビュー】ウエイトトレーニングを実施するとケガを1/3以下に減らすことができる
このデータを逆の見方をすると、ウエイトトレーニングをしないことでケガのリスクが3倍になると捉えることもできます。
つまり、ウエイトトレーニングをやることのリスクを怖がって、やるというアクションを取らないことで、やらないことのリスクを放ったらかしにしているのです。
こういうの、難しい言葉で言うと「不作為」ということになると思うんです。
路上で倒れている人を放っておいて通り過ぎるのと同じです。
リスクを取って何かをやることに対して批判されることは多いですが、リスクを取らなかったこと(=不作為)によって被っている不利益に対して批判されることは少ないような気がします。
でも、それって不公平ですよね。
やることにもやらないことにも、どちらにもリスクがあるんですから。
まとめ
リスクゼロなんてありえないということは、何かを「やるリスク」の裏側には、それを「やらないリスク」が必ず存在するということです。
「やらないリスク」はなかなか意識しづらいし、「やるリスク」を取って行動して失敗した時のほうが批判されやすいので、責任を負いたくない人は「やるリスク」を避ける傾向があります。
しかし、「やらないリスク」に目をつむって放っておくのは「不作為」にあたる行為なので、それはそれで批判されてもおかしくないはずです。
なんでもかんでもリスクを取って攻めろと言っているわけではなく、「やることvs.やらないこと」によるリスクの大小と効果の大小(risk-befefit ratio)を常に意識しながら決断をしましょうと主張したいのです。
そして、risk-benefit ratioを判断する基準として、いわゆる「科学的知見」と呼ばれるものは、かなり役に立つものだと思います。
もちろん、「経験」や「論理的な考え方」も役に立ちます。
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【編集後記】
先日、映画館で「美女と野獣(実写版)」を観てきました。
アニメ版は観ていません。
っていうか、ディズニーアニメは1つも観たことありません・・・。
でも、実写版はとても楽しめました。
映像も音楽も良かったです。
なにより、エマ・ワトソンが抜群に美しかった!